忍者ブログ

倉屋敷

「 ひさしぶりの戯言。 」

[PR]

2024.05.08 Wednesday 16:55

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

ひさしぶりの戯言。

2010.01.10 Sunday 02:55

 |ω・`)ノ ヤァ
2,3日更新していなかったが、皆さん元気ですか?私は元気です。
テストもなんなくとthroughしましたwww




あなたの希望する死に場所、時は何ですか?


はっきりいっていろんな人に聞いてみたいが重い話はKYな感じがするのでやめておきますが。

最近良く考えます。
「人生50年」信長も49歳という年で自害。当時天下人に近かった人。夢は儚く消えてしまう。
確かに50歳は若いのかも知れない。まだ現役で働ける歳だ。だが、60歳以上にもなるとなにをすればいいのだろうか。・・・第2の人生?それが世の中のなんになろうというのだ。人に求められなければ、人は居場所をなくしてしまう。生きているのに死んでしまうようなものだ。あるいは厄介者かなにかになり居心地が悪いだけの居場所だ。私はそんな場所は嫌だ。だが、自分のために生きるのが老後だという。家督もなんやかんやを子孫に譲り、開放され自由の身となる。それでもいいのかもしれない。だが、きっとどこかで邪魔者扱いなのだろう。それぐらいなら私は自分の人生50歳で終わりたい。終止符をあらかじめつけていた方がその分充実した生活が送れるのではないのだろうか。
死に方は個人的になんでもいい。病死、事故死、安楽死、・・・。なんやかんやいって眠るように去っていくのもいいのですが、若い年にはそんなこと出来ないでしょう。そう思うとたびたびタバコを吸いたくなる。自ら朽ちようとしたっていいではないか。((だからと言って法に違反するのは嫌なのでしないよ、今は。
生きるということはそれほど重要なのか?死と言うのはそれほど駄目なものなのか?
悲しみから逃れようとするのは正義なのではないよ、自らの欲。自らが死のうと決断したのならば、他人がどうこういうことは出来ないのではないか。決断した本人も深く傷つき立ち直るよりも、足をもぎ取られたようなものだろう。そんな痛みを知らずに止められたとしても未来はあるのか?変わって言うけるというのか?保障は死ぬまでしてくれるのだろうな?そんな覚悟もなくて止めたところで何になるというのだろうか。正しいことだというのだろうか。自らが死ぬことはそれほど悪いことなのだろうか。教えてやれよ、無意味な理想郷を。止めたところで、結局何にもならないんだろう?現実は甘くないってみんな知っているんだ。そんなかに混じって希望の光をまっているやつ、叫びたいなら叫べ。助かりたいなら、叫べ。生きたいなら、叫べ。自らが逝くことは暗闇の中絶望のどん底、絆の糸さえもすべて切れる人だけなんだよ。浅い考えで無駄にするような奴は単なる馬鹿だよ

久々に思っていること文章にした。こんなこと本当に書いてよかったのかよくわからないが、まぁその辺はいいんじゃないか?(´∀`)throughで!

拍手[0回]

PR
COMMENTS
TITLE

NAME

EMAIL

HOME
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字 PASS
COMMENT
TRACKBACKS

URL

PREV  - MAIN -  NEXT

忍者ブログ

□カウンター□

フリーエリア

□カレンダー□

04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

□最新記事□

(04/01)
(04/01)
(04/01)
(03/30)
(03/30)

□プロフィール□

HN:
性別:
女性
職業:
学生
趣味:
落書and音楽を聴く事。
自己紹介:
ほしいものは、デスクトップpcと時間です。
あと、絵の才能。

□最新コメント□

[03/11 よもちん]
[02/25 よも吉]
[01/30 よも]
[12/28 Ami]
[12/26 Ami]

□ブログ内検索□

□アクセス解析□

バーコード

OTHERS

Powered by [PR]
Designed by TABLE ENOCH